愛し方の違い
怒涛です( ºωº )…
前回書いた🐶のカリカリ回収作業ののち用事を済ませ、家に帰る道すがら。
龍さんとニギさんは私を殴ったけれど、私に対して一途だと思って。
これからは龍さんは絶対しないし、ニギさんも私が自傷に走る元である怒りの矛先を自分に向けることをしなれば、という条件付きで殴らないと誓ってくれました。←書いてる今、私次第というところから信用出来ない私に、牛っさんと一緒になって宥めながら誓ってくれました。
その、怒りというのは大体が後ろさん達への信頼に亀裂が入り、感情が爆発して起こります。
ですから、まず後ろさん達を信じられなくなる出来事に遭遇しても、心を落ち着かせて(ここで一応後ろさん達は「許せ」と言ってきます)後ろさん達を信じて、自分から甘えること(←これが悔しくて悔しくて)をしないと収まりません。
収まならない、というのは、わざとイライラの原因を続かせて心を開いて甘えない限りはその手を緩めないからです。
これが出来ると、状況がまるっきり違ってくるのが驚くほど分かります。
とにかくどんなに悲しく辛いことが起ころうと、後ろさん達への愛を貫かないと物事が良いほうに転ばない、ということをカリカリを片付けながら教え込まれたのですね。
ただ頼る、という普通に神仏にすがる方法ではなくて。
愛する人に甘えるという、普通の神仏に対するすがり方ではない方法でないと「許さない」と言われました。
この自分1人の力では乗り切れない難事に対処するやり方を、何べんも何べんも痛い目に遭わせて提示していたんです。
それをようやく、腑に落とすことが出来たのですが。
今度は衣さんやカンさん達、出雲の神様たちに不信感が湧き出したんです。
過去にあった恥ずかしかったことを思い出して。
これらは龍さんなら絶対させないし、牛っさんからも言われました。
それでカンさん、衣さんとの過去生を思い出すと、彼等は自分の懐に入るまで痛め付ける性質、というか一族性を持っていて。
自分たちに懐くものには寛大で、護り通そうとする心情が強いのですが、そうでないもの、特に狙ったものには情け容赦無いところがあります。
私の過去生が自分のものにならなければ嫌なこと、心が傷付くことを冷静に実行し、他人に抱かれようが痛め付けられようが構わず、泣いて帰ってくるのをただ待っている。
そんなことを思い出して、今度は衣さん達に嫌悪感が吹き出して。
自転車を漕ぎながら、悔しくなって。
さんざん悪態ついたのですが……この前のスサノオさんのことを思い出し。
( ;´・ω・`)ああ、懐に入ればいいんだ……
とストン。
家に帰りつく頃には落ち着いて甘えられました。
痛め付けられたことは悔しいし、忘れてもフラッシュバックしたときに苦しいのですが。
今も悔しい気持ちで書いていますが、衣さんが私の親指を使って唇をグニグニして甘やかしてきます。
悔しさを乗り越えて甘えられたら、びっくりするぐらい態度が違います。
今日は牛っさんdayなので、すぐに牛っさんに引き渡されましたf(^ー^;
牛っさんに、以前出雲の神様たちをよく思っていないと言っていたのが気になって。
今でもなのか聞いてみました。
「うむ……わしの愛し方はどちらかというと龍と似ておるだろう?」
と言うので頷くと、
「愛し方の違いなのだがな、気に食わんのだよ。」
と意図的に痛め付けて服従させるやり方を批判しました。
しかし、今書いていて。
ずっと、待っていたんだよなあ……と思うといじましくてーーーと書くと今は死語?のダメンズウォーカーのようですね( T∀T)
そしたら、
「あれだけ痛め付けても懐に入らんお前は根性があるなぁ」
とか衣さんが言ってきました。
( :゚皿゚)なにおう!?
と返すと、
「父も、わたしもお前を待っていたよ……」
と言ったとき、「わたし」と「俺」がダブって聞こえました。
多分、私の過去生といた少年のときと、成人後の意識がごちゃ混ぜになったのかな?と衣さんに聞くと、
「それでいい……」
と頬っぺを撫でたり、タブレットを持っている左手の手首のところを軽く叩きました。