結局は自分と同じでないと気が済まぬ
前回のタイトルのほーさんの言葉でやっと『書ける気(機)』が起きましたが、今回は
「結局は自分と同じでないと気が済まぬ。」
という他の後ろさんの言葉です。
私に特定して誰が言ったか知らせないのは、この言葉が後ろさん全体の意思の表れだからです。
(前回の言葉は、私が生き物たちのことで『この子たちはなぜこんな私と関わらなければならなかったのか』『"自分を責めるな"って後ろさんはいつも言うけど、神様は世界を変えられないの?』と聞いて、返ってきた答えが「そこにあるんじゃから。」でした。
それから「お前が存在しなくとも、生きものたちは生まれてくる。だから、楽しさも苦しみも悲しさも【そこにある】。」と続き、フッと心が軽くなり、ようやく『気(機)』を得ました。)
Pixabayより*
「『愛』を、自分へだけでなく他の命にも向ければ自ずと自分への愛に繋がっていくものなんじゃよ。」
「自分の土俵から出ず、安全な場所から文句を言い、自分の楽しみとセットの施しを与えるだけで満足し、エネルギーをため込むことばかりに精を出すのでは、本当の愛情は得られはせぬ。」
「お前は幾度も窮地に陥ろうと命を守るため必死に動いた。………ワシらの支えがあったからとお前は言うがな、本気で命たちの幸せを願ってきた自分を知ることも大事だ。」
「常に無力感にさいなまれ、それでも命たちのために尽くしてきた。」
「そんなお前に必要だったのは、常に励ます存在………金を受け取り、その役目を担う筈の霊能者は、役目のなんたるかが分からず放棄した挙げ句に道を外した。」
「この霊能者の取り巻きもそうだ。………金が絡まないとはいえ、この霊能者をもてはやすのなら、それは詐欺に加担していることと同じ。」
「自分を責めてきたお前が、ようやく外へ怒りを出すことが出来た途端に、『それは私の理念に反する』と押さえつけてくる。」
「お前をけしかけたワシらではなく、生活を締め付けられ従うしかなかったお前に怒りを向けてきた。」
「お前は人にではなく、写真越しだが神々にケンカを売ってきた。泣きながら『どういうことだチクショー!』と、神社に行けるならば人の邪魔にならぬようコソコソとだ(笑)」
「奥の鏡を睨み付けて己の形相に驚き、我が身をふりかえる。」
「これがまことの神と人間の関係だ。」
「本気でぶつかれば神々も本気で聞いてくれると、本当に信じていることが根底にある。だからこその怒りだからな。まず自分を騙してないだろう、お前は。」
「だが、お前と違い、神社に多く通い、誰よりも神氣を浴び、本殿の鏡に誰よりも向かってきた者たちは違った。」
「味方の顔をした敵だったな。」
「それは己にとってもだ。」
「神は、良い子の顔をしてゴマをすらねばならない相手ではない。」
「そして、御祖である神との仲介をする霊能者の扱いを知らぬと恩恵を受けられぬとは、御祖の子らを馬鹿にする考えだ。」
「お前は何度も発達障碍のみならず、ワシらから操られ身動きが取れずに苦しんでいることをブログに書いてきた。」
「ワシらはそれをお前に書かせてきた。」
「………お前にニュース記事の貼り付けに精を出させておいて、表に出させなかったな………今はもう分かるじゃろう?」
「同じ記事を読んでも、お前と同じ気持ちになるとは限らぬことを知ったな。」
「お前がこれまで書いてきた記事も一緒でな、『分かったようでいて分からない』者は大勢いる。」
「それは誰しも必ずあることだが、自覚ができているかどうかで心構えは違ってくるものだ。」
「お前の記事が罰則をくらうような内容でも、『神がついているから大丈夫』ということを信じられず、『自分は許されるがお前は許されない』と霊能者は遠回しに示してきたが、他の者とて同じであったな。」
「自己責任の足枷で苦しんできた人間に、さらに自己責任の呪縛をかける。」
「『自分さえ良ければいい』『自分と同じでいればいい』という思いは、神仏には見え見えなんじゃよ(^_^)」
「自分の良心も騙しておることもな。」
「『では、どうすれば良いか』だな。」
「その前に、穢い霊能者たちの話をせねば、エネルギーの循環の仕組みが分からぬだろう。」
ここで、私が『後ろさんに見せられた』霊能者の方々の話をします。
まずはイニシャルで『Nさん』のことからです。
Sさんとは違い、私と直接お金が絡むことはありませんでしたが、この方の電子書籍を購入したことがあります。
パワーストーンを使ったアクセサリーや神様の絵の販売をなさっている方です。
出雲の巫女だった過去生があり、その巫女さまは今生であるNさんの守護にもついておられます。
今はもうアメブロを退会された私の知り合いの方が、Nさんの神様絵のファンでしてf(^_^;
そのご縁で、私もNさんの絵から密かに学ばせてもらい、Nさんにはまた密かに感謝はしていますが、個人での恨み事は何もありません。
しかし、私がアメブロでSさんのことについて書いているとき、Nさんがブログで私の知り合いのお話をなさったことに感動してリブログをさせていただいたことがありました。
この事について、ある方からメッセージが届きました。
この方は以前、私の神様絵のことでありがたいお言葉を掛けてくださり、私はずっと恩義を感じていました。
届いたメッセージは、Nさんが過去にこの方にされた酷いことを伝える内容でした。
直接の面会はなく、メールでのやり取りでしたが、私でさえも困惑し、泣いてしまうであろう責め方をされて。
悲しさと怒りを味わわせられたNさんに賛同するようなリブログ記事を書いた私に、つらい心中を教えてくださいました。
ーこの事で、私はNさんの『見えない世界での責任逃れ事件』を思い出しました。
私はNさんの記事を読ませてもらうなかで、いくつか引っ掛かることがありました。
それは、後ろさんから仕向けられた気付きでもあったのですが、それが噴出した『事件』のことです。
この事は、Nさんが誰であるかバレてしまうのを承知で書きます。
2年以上前の年末、ある自己啓発系の、沖縄出身で世界でも活動されている有名ブロガーさんが『いろいろと導かれて』主催した大きなイベントがありました。
沖縄にたくさんの女性たちを集めて祈る、というもので、開催前からNさんはご自身のブログで釘を刺していました。
Nさんの沖縄の知人である霊能者の方も、このイベントは現地の状況を無視した、エネルギー的にも危険なことだと情報を発信しておられました。
私は、この沖縄の霊能者の方が関わられたパワーストーンを主にした通販で、後ろさんにすすめられて神言葉つきの水晶玉を購入したことがあり、この方のブログをいつも拝読させていただいていました。
(今は更新を止められていて、別の活動のサイトのほうで近況をご報告なさっています)
私は3年以上、今でもほぼ毎日、ご先祖さま供養の折りにこの水晶玉に向かい、神言葉を唱えさせてもらっています。
(この水晶玉から沖縄の龍神さまのしーさんとのご縁ができました)
Nさんは、当時から他のスピリチュアルブロガーさんたちにも辛口で、霊能の力で感じたこと、読者の方々からの情報などを交えてスピリチュアルの世界に注意を促していました。
すでに多くのファンがいらっしゃる大物たちを相手にするのですから、相当気を遣われたことだと思いますが、後ろさんは『この者は大したことなどしておらぬ』と突き放した物言いでした。
「本を出すほど、人に文句を言うほど、己の能力が高いことは自覚しておる。」
「『周りからも自覚させられている』。」
「ただブログでチクチク言うくらいは誰でもできる。………この者にしかやれないことを、この者はさまざまに理由をつけてやろうとしない。」
「ブログを読んでも分かるだろう。先祖供養が必要な者たちに冷たい対応だ。」
「救いの手を払いのけることは、この者だけではないがな。」
「自分の高い能力や幸運の自慢で終わりにしておる輩どもだ。」
「なぜ、『会わせられるのか』『見せられる、視せられるのか』を自分可愛さと面倒くささで考えることをやめておる。」
更に、私はこのイベントを主催したブロガーさんの記事を読ませてもらい、このブロガーさんをこのイベントに導く『見えない存在』がいるのではないか、と感じていたこともあり、見えない世界での流れに戸惑いました。
ただただ後ろさんに無事にイベントが終了することを願うしかなかったことが悔しかった。
ー結局イベントは決行されました。
しかし、それから間もなくして海外で大きな津波災害が起こり、それが沖縄のイベントで生まれたエネルギーの歪みが引き起こしたものだと、Nさんご自身は結論を下していました。
そのブログ記事の最後で、
「おーこわ」
と、まるで他人事のようにこの一連の流れを締めくくっていました。
『一応文句は言ってやったのに、全部やらかした奴らが悪いのよ』と言っているように私は感じました。
この思いは、私がNさんを勝手に冷たい人間だと決めつけているのではないか、と思ったのですが、
「だからな、この者も善人のつらをしておるだけで、人を操りたい欲は自分が批判した者たち並みにあるんだよ。」
「『人気が欲しい』『注目を集めたい』という自分の欲を素直に認めぬがゆえに心を歪ませておる。」
「『自分の欲に素直』のふりはする。だが、本当の腹黒さに目をそむけているから、『目に付く』。」
「『そういう情報』を無意識に集め出し、『仕方なく文句を言ってやった』と周囲を巻き込む。」
「( ^∀^)ハハハ!お前も自分が似たような人間だと思っているがな、ここがな、"集中力の差"なんだよ。」
「物事を成し遂げられる集中力があればこそ、余計なものと思ったものに目をつぶり、大きな成果を引き寄せる。」
「そこが落とし穴だな。」
「『力が無いからこそ気付けるもの』がある。」
そうしてその年明けにも、そのブロガーさんとNさんの、読者の方々を巻き込んだゴタゴタが起きました。
ブロガーさんは、沖縄の地元の方々に頼まれて、根が伸び過ぎて御獄を覆ってしまった御神木を、神域の御神木を伐採する専門家を招いて伐りました。
この時、一緒に作業に同行した別の自己啓発系トップブロガーさんの言動も、問題を起こしたきっかけではあったのですが、Nさんはこの作業を非難したんです。
写真を見て御神木の痛みを訴え、同行した別のブロガーさんの非常識さを、やはりブログ上で責めました。
その事を、読者の方に教えられたブロガーさんは、直接Nさんへ丁寧に詳しい事情を説明なさるメッセージを送られ、穏便に終わるよう動かれました。
そういうことを経て、最近のNさんのブログを読んでいると、
「エジプトの過去生も似たようなものだ。」
「他にもエジプトで神官をやっていたという者たちの記事を読んだろう。」
「今は『情報の提供』だとブログでは霊的な知識と経験を披露し拡散を促しておるが、過去生では同じ理由で『情報の囲い込み、搾取』をやっておった。」
「……『金』になるからな。」
「時代に合わせて情報を操ってのぅ、自分の富を増やすことを冷淡に実行することには変わりはないんじゃよ。」
「生まれ変わって、昔過剰に得てきた豊かさを逆に与えなければならんのだが。………まあ、上から物言う性質は変わらぬよ。」
「恩に着せる。………『教えましょう』とな。」
「『言わせてください』なのだよ、本来は。」
「『言わせてもらうお膳立て』を整えてもらっているのを、選民意識が目をくらませる。」
「『霊能の仕事は神様から選ばれてさせられている』………罪滅ぼしの機会を与えられておるだけが、特別感満載で格差をつけておるだろう。」
「そして、エネルギーを奪われることに過敏に反応する。」
「己の欲深さが招いて逆に搾取される立場になった過去生を、自分のエネルギーを奪われることを防ぐ理由にすり替えてなぁ。」
「お前にメッセージを送った者もな、『一族の因縁』で『エネルギーを奪う』からな。過剰に攻撃をしてしまうのだよ。」
「もちろん自分の意識ではない。だが、守護をする一族のものが『そういう性質』を持っていることは知らねばならぬ。」
「あのな、ちょっとやそっとの慈善活動では『足りない』んだよ。」
「エネルギーを"奪った"、"与えられた"、ならば、"奪われる"、"与える"ことをせぬと魂の穢れとなる。」
「白不浄やら赤不浄やらあるだろう?」
「『慶びごと』も過ぎれば『穢れ』だ。」
「この者も、これからが『返しの本番』だ。」
「『一族の浄化』を担って生まれてきた存在なんじゃよ(^_^)」
(;゜∀゜)……なんか、ここでアメブロで書いた田中正造さんや古河虎之助さんにやっと繋がった気がするよ。
「うむ(^_^)他の者たちもな、『自分が背負った因縁』に負けて、人を自分と同じ因縁に引きずり込んでいる場合ではないんじゃよ。」
「『救えば』『救われる』だ。」