良し悪し
久し振りに母に電話しました。
母の誕生日だったのですが、自分の半端な頭の弱さや、それに起因した過去にやらかしたことなどを突き付けられた内容になって。
電話を切り、騙された過去など思い出していると。
「騙されるのは確かに弱さがあるからだが、経験も大事だぞ。
人の弱さに寄り添えられる。」
「そして、大勢の人間が騙されないために先陣切って防波堤になっている大事な役目を担っているのだが……
このことを分からずただ見下す者はたくさんいる。」
「自分の弱さに向き合ったからこそ得られる『徳』があるにもかかわらずにだ。」
「いかんのは、騙された者を批判すること、そしてその弱い者を食い物にすることだ。」
と後ろさん達。
仕事の悩みを言ったあと、母は
「あんたは自分のことを発達障害、発達障害って言うけれど、発達障害じゃないよ。」
と。
母の世代では発達障害に対する偏見がまだまだ根強いのですね。
私が子供の頃は「知恵おくれ」と馬鹿にされる風潮があり、実際両親は馬鹿にする立場の人間でした。
自分の子供が「そんな酷い馬鹿」とは思いたくはないのです。
周囲から笑われ者になることを一番に悔しがり、「馬鹿は外で遊ばなくてもいい」という教育方針でした。
父も紛れもない発達障害なのですけれど(ですから遺伝ですね💧)、自分を馬鹿にする人間を力でねじ伏せて生きてきました。
母は誰よりも情に厚い人ですが、仕事がうまく出来ない人間には冷たいところがありました。
一応ネットで出てくることを軽く説明しました。
しかし、仕事や人間関係で躓いたことのない母にはピンとこないようでした。
(書いていて、昔弟にもそういうことを言われたなぁ、と思い出しました。今ではありがたいことに理解してくれています)
「発達障害」という言葉に悪いイメージしか持たない母に説明しながら。
自分の過去の過ちを弁解しているようで、情けなくて泣きたい気持ちになりました。
そうして「はっきりしない」頭の弱さから痛い目にあった経験を、いくつか思い出したわけですが。
今朝、といっても起きるのが遅いので正午過ぎに。
ネットでの一文で、前に後ろさん達に言われたことが気になり聞いたのです。
(´∀`;)やっぱり感情と思考って分けたほうがいいんじゃない?
「冷静になることは大事だが、感情を切り捨てる者もいる。
そうなると感情的になる人間を見下すようになる。」
「理由があって感情が生まれるというのにそれを無視するんじゃよ。」
「弱い者がいるから成り立つ商売をしていながら、その弱い者を軽蔑しながら金を取る。」
「弱い者を上から見て世の中の仕組みを知ろうとするが、感動をもらえることなど知ろうともしない。」
「目に見える大変さばかりに同情し、自分が理解しえない大変さには辛辣になる……」
「『どうしてだろう』で、止まっておる。」
「そこから考えを進めたとしても、一面しか見ずに、やはり見下して終わる者がいることは分かっただろう。」
「同じ人間……能力、環境、運が違うだけの、わしらから見ればいとおしい魂たちじゃよ。」
……難しいでごんす。